プロット&シノップス

2005年11月14日

ロハスな島「石垣島」の歴史A

ロハスと言われている石垣島。
そこにはすさまじい開拓
移住の歴史があるのです。
終戦と同時に起きた沖縄の混乱。
それはどのようにして生きていくか、
何を食べていくかの混乱でした。

第一回報告『ロハスな島「石垣島」の歴史@』はここから。

●アメリカ軍と民政府の計画の一時停止。
沖縄の混戦を解決するための手法として提案された
「石垣島・西表島三万人移住計画」。
それが途中で停止状態となったのです。
その理由にはいくつかのものがあげられましたが
敗戦国である日本とアメリカを始めとする連合軍との
講和会議の結果を持つと言うことが主な理由となりました。
従って、アメリカ軍と民政府とが開拓移民に約束した
@入植当初の食料の提供。
A開拓のための農耕機具の提供。
Bマラリアなどの駆除。
この三点が不履行のままだったのです。
しかし、
生きていくために、
食べるために
自主的に開拓移住する人が現れたのです。
こうした人々を「自由開拓移民」と呼ぶようになりました。

●開拓移住の持つ意味。
沖縄から、石垣島と西表島への「移住」。
なぜ、その前に「開拓」という言葉がつくのか?。
その当時の石垣島と西表島の環境にその理由があるのです。
その当時、石垣島の北部と西表島。
それはまさに「ジャングル地帯」だったのです。
そこに移住する。
それはまさに「入植」であり「開拓」だったのです。
開拓移民。そこには語りきれない多くの苦しみがあったのです。

ロハスな石垣島を見つめるときに
こうした先人達の苦労と努力を忘れてはいけないように思うのです。

◆多くの書籍とサイトを参考にして作成いたしました。
厚く感謝いたします。
事実と異なることなどがございましたらお教えいただきたいと思います。
 

  
Posted by samejima60 at 08:02Comments(0)TrackBack(0)●LOHASな ニュー