オニヒトデの大発生とその駆除の効果

過去のオニヒトデ駆除の様子を写真シリーズで紹介する。1983年には1970年代の大発生の食害から回復した本部半 島周辺で再び大発生が起こり、本部漁協の潜水漁業者が駆除作業を行った。この時は海洋博記念公園水族館のメンバーも参加した。

A-D, Jの写真はK. Muzik、E-Iは山口が撮影したものである。

微 小貝サイトの掲示板でShell Hunterさんと情報交換をしていて南紀でサンゴを食べる貝の話から発展して、オニヒトデについてのコメントがありました(下)。

> オニヒトデも一旦駆除されましたが,個人的に考え,かつ和歌山県の話ですが,駆除しない場所も駆除した場所も次第と消えていきいなくなってしまっていま す。駆除が本当に効果があったかどうか今も疑問です。

こ の問題は私が調査研究して報告したことがありました。それを以下に簡単にまとめて述べます。


  オニヒトデは冬の水温が15度くらいないと越冬できません。もともとオニヒトデが分布していなかった串本や三宅島などでは黒潮の接岸状態が3年以上持続 しないと、たとえ幼生の供給が上流からもたらされても、大きくなってサンゴを食べるまで育つ個体は現れません。

 1970‐1975 年に黒潮は直進コースを取っていました。その間沖縄ではオニヒトデが大発生していました。串本は直接黒潮の影響を受け続けて、それまでいなかったオニヒト デが出現しました。しかし、その後黒潮は大蛇行を開始して、離岸した串本の沿岸では冬の水温低下が起り、それに伴ってオニヒトデが消えました。

  三宅島は蛇行が始まってから黒潮が接岸して1970年代後半になって初めてオニヒトデが出現しました。これも1980年代に黒潮の安定的接岸状態がなくな り、冬の水温が越冬不能レベルになりました。三宅島では1980年に駆除をし、翌年から完全に消えたのですが、自然消滅の前の間引き駆除に効果があったと は思えません。(ダイバーによる駆除で「すべての個体を完全に取り除くことは」オニヒトデが岩陰などに隠れる習性から考えてまずあり得ないことですが、こ こでは完全に消えました)

  串本では1970年代ずっと駆除を続けましたが、毎年のように、前年の取りこぼしや新しく生長した個体が出現していました。そして1980年代に完全に消 えたのは、黒潮が離れて越冬できない水温になったからと考えるのが合理的です。しかし、駆除した当事者は自分達の努力が実ったと勘違いしていたかもしれま せん。 


奄美大島、瀬戸内町
沿岸サンゴ礁における
オニヒトデ駆除事業

1974年度に始まり30年近く

続けられてきた事業によって

殺されたオニヒトデの個体数

の変動が集団の年変動を

すとすれば、図で示された

ように1980年のピーク以 降

毎年駆除をしていたにもか

わらず、2001年度に は

再び大発生がこった:

つまり駆除事業の実際的

効果はなく、発生を抑える

ことはできなかった。

(このグラフの作成に使った
 駆除個体数のデータは
 鹿児島県環境保護課
 から提供された)

 

左のグラフは石垣島と西表島の間に広 がる石西礁湖(国立公園)でのオニヒトデ駆除個体数の経年変化である。

国 立公園管理事務所では、1983年5月に第1回、その後毎年継続して1994年まで、サンゴ被度とオニヒトデ分布密度の調査を黒島の八重山海中公園セン ター研究所に委託して実施した。その調査結果のデータをもとに、礁湖の北西部、小浜島周辺に残存していたサンゴ群集を守るように戦略を立て、そこで集中的 に駆除した。

駆除数データは海中公園センター八重 山海中公園研究所提供


 
オニヒトデとはどのように付き合うべきか

  •  オニヒトデによるサンゴの食害は一時的な問題である(正常な環境では、サンゴ群集は自然に回復・復活するはずである)。
  •  サンゴ礁景観を復活させるためには、減少したサンゴを人為的に増やすことを考えるよりも、サンゴの生育環境を健全な状態に保つこと が基本である。
  •  

  •  沖縄・奄美では、オニヒトデを取り除くだけで、「サンゴ群集の作る美しい海中景観を守る」という目的を忘れた「駆除事業」が、実際 には手遅れになってから「間引き」が、行われただけであった。駆除数だけが「実績」として記録されるのは全くばかげている。
  •  そもそも駆除をするべきかどうか、やるならどこを選んでどのような規模でなすべきか、という出発点で必要な情報収集と戦略について ほとんど何も検討されてこなかった。関係した事業担当責任者の認識不足が問題である。
  •  これまでの駆除事業の報告では、オニヒトデの駆除数とそのための経費が記載されているが、肝心のサンゴがどうなっていたのかは記載 されていない。事業の事後評価もされていないで、ほとんどの場合、潜水漁業者に作業の丸投げをしただけのやりっぱなしであった。
  •  沖縄県内全域の沿岸で1970年代から1980年代にかけてオニヒトデ駆除事業が継続され、累計で6億円以上の経費が使われ、 1000万個体以上のオニヒトデが駆除されたと報告された。
  •  1989-1992年に環境庁による第4回自然環境保全基礎調査の一環として「海域生物環境調査」でサンゴ礁の実態調査が実施され たが、その結果、沖縄県ではサンゴの被覆率が50%を越えた場所はほとんど見られず、大部分で被度5%以下 の丸坊主状態であった。
  •  オニヒトデの根絶は、その生態的な特性(海流による幼生の広域分散)から見て無理な相談である。
  •  特定の場所でサンゴ群集の海中景観を保全するためには、オニヒトデの生息密度(摂食速度)とサンゴの生長(回復力)のバランスを計 算して、許容密度を設定し、それ以上にオニヒトデが増えないように抑えるべきである(そのための基礎データはすでにある)。
  •  大発生の起こる条件についてはまだ未知の部分があるので、事前予測は難しいから、継続的なモニタリングが必要である。
  •   沖縄ではオニヒトデの産卵期が台風シーズンに重なっている。台風の襲来はオニヒトデの浮遊幼生を撹乱し、無効分散に終わらせる可能性が高い。つまり産卵か ら着底までの数週間の浮遊期間中に台風や熱帯低気圧が沿岸海域を撹乱してくれれば、オニヒトデの大発生は起こらないだろう。(ただし、オニヒトデは集団と して1シーズン中に数回に小分けして産卵しているようである:繁殖失敗を見込んだ危険分散戦略であろう)
  •   幼生が沿岸に滞留できる条件、つまり撹乱がない穏やかな期間が初夏の産卵期に持続した場合は、大発生が起こる基本要因として「幼生が沿岸で生き残り着底す る」状態が整うものと考えられる(ただし、必要条件であって十分条件ではない)。そのような実例としては、沖縄本島では1998年の初夏に全く台風が来な かったが、その3年後である2001年に大発生が始まった。
  •  浮遊幼生を海で実際にモニタリングするのは技術的に難しいので、産卵期中に成体の生殖巣の検査を続け、実際に繁殖活動(放卵・放 精)した時期(初夏に数回あるはず)が特定できれば、その後の幼生の運命(生き残り)を推定する根拠の一つが得られる。
  •  産卵期に幼生の生存率が高くなって大発生が起こりそうな海況があった年から、成体となってサンゴを食害するまでに3年の余裕があ る。その間、モニタリングによって稚ヒトデ集団の出現を検出できれば、その対策のための準備が早めに出来るはずである。
  •  駆除する場合は「間引き率」をチェックしながら取り残しの個体数が「許容密度」以下になるように繰り返して徹底的に実施す る。
  •  オニヒトデの限定的な除去は可能:一部のサンゴ群を「産卵集団(規模と位置を考慮)」として選んで残し、一過性の食害が終わった後 のサンゴ群集の復活を促すようにする基本戦略が現実的である

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