意見陳述書



1997年1月29日 吉嶺全二氏の意見陳述



沖縄本島北部 辺野喜川、土地改良地区から流れた赤土が海へと向かう

原告の吉嶺全二と申します。

 1966年に水中カメラを購入し、海の中の風景としての写真を写してきました。1972年の沖縄の祖国復帰以降、国の施策としての沖縄振興開発計画、その公共事業がもたらす赤土汚染に気づいたのが、1977〜8年ごろでした。
それ以来、祖国復帰以前と以後の変わり方を写真で比べる作業をしています。

現在、環境庁の自然公園指導員もしています。
沖縄県下の島々のまわりには、ほどよい距離にリーフがあります。つまり、サンゴ礁に囲まれていて、海の中には色合いや形、大きさがそれぞれ異なるサンゴやサンゴ礁の生き物たちが生息、海は透明度が高く、海底は起伏に富んでいます。
 こうした沖縄の自然環境は、一つには亜熱帯地域であること、もう一つは台風常襲地域であること、この二つの条件が、それこそ長い年月積み重なって、大変に特異な自然環境を作りあげたのであろうと思います。

 かって、日本国内で唯一地上戦の戦場となり、鉄の暴風といわれるくらい砲弾が飛び交い、県民の4分の1が死んだ。
戦後も27年間、理不尽な米軍の統治下で祖国復帰運動の声は大きく響きわたりました。
1972年5月、念願はかなっが、広域な米軍基地はそのままにして、新たな自衛隊の基地も加わってしまいました。

そして27年間にわたる米軍統治の空白を埋め、 戦中戦後の苦労に報いるため、国は沖縄振興策として「本土並み」の諸々の産業基盤整備を公共事業として、ほぼ全額国の費用で賄ってきました。
これまでに5兆円余を投入、隣の鹿児島県や宮崎県よりも「本土並み」になったのではないか!と言われています。 ところが今日、大変深刻な問題が起きました。
それは、雨が降る度にサンゴの海を赤く染める赤土汚染公害の問題です。
サンゴは死滅し、サンゴ礁の生き物たちも激減してしまいました。

 例えば、普天間の米軍ヘリポート基地の移転問題で、石川、金武、宜野座の三市町村の漁協は「沿岸は赤土で汚染され、漁場としての機能を失った」として誘致を表明、翌日には撤回したが、その補償金に救いを求めました。
今日、隣接する名護市や東村はその方向へと傾いています。
それほど沖縄の沿岸海域は赤土汚染公害という深刻な問題を抱えています。

また、環境庁による「自然環境保全基礎調査」でもサンゴの 被覆率は5パーセント未満が大半を占めている、とのショキングな調査報告書が昨年、発表されています。
沖縄の農地開発や土地改良事業は、基幹作物である砂糖キビの収穫高をあげるために進められてきました。そうした畑からは、雨が降る度に表土や肥料、農薬などが流出するような設計図で施工されたので、畑は次第にやせ細り、1989年に約180万トンの収穫高が毎年減って、今期は88万トンと半減してしまいました。

その間にも事業は継続されているので、本来なら300万トンくらいになると思います。
 このように収穫高が激しく減った原因は、単位面積あたりの収穫高が減ったこと、流出した分の土を客土したり、肥料や農薬などを補給しなければならないので農業経営は成り立ち難く、後継者も育ち難い。ですから、耕作を放棄する畑が増えたからです。
一方、流れ込んでしまったサンゴの海ではサンゴを死滅させ、サンゴ礁の生き物たちも激減したので、沿岸漁業に大きな被害を与え続けています。

だからといって、コンク リートのサンゴといわれる魚礁やエビ礁を公共事業として設置しても、サンゴ礁の生き物たちが増えることはありません。
恐らく、これらの生き物たちはサンゴ礁を媒体として生きていたのです。
このままの状態が続けば、遠からず観光・リゾート産業も疲弊するでしょう。
 では、いったい何が問題だったのか。
その一つは、沖縄の特異な自然環境にマッチしない国の基準などを当てはめた設計図にあると思います。

 もう一つは、いわゆる「本土並み」の公共事業が進められるプロセスに問題があったのです。 
即ち、公共事業は(1)設計図から始まり、(2)工事仕様書、(3)積算書、(4)入札(5)発注、(6)工事監督、(7)竣工検査、(8)竣工処理、こうした順序で一件の事業は終了します。
その際、基準や規格などを無視したり、実施要項や事務処理要項を勝手に解釈しては、上司の決裁印を得る事は出来ません。また、全序の(1)〜(8)のいづれかを省いたり、順序を入れ替えたりしては、内部検査に引っかかり、規模が大きければ会計検査院の検査対象となります。

 国民の税金だから、無駄や間違い、不正などを未然に防ぐシステムとして、煩雑で膨大な書類、行政上の手順や手続きなどで、がんじがらめに縛られる仕組みであっても、それなりに効果を発揮下であろうことは理解出来ます。
しかし問題は、冒頭に述べたように、沖縄の自然環境は地球規模でも極めて特異なものです。
にもかかわらず、この特異な自然環境に配慮を欠いた設計図で施工し続けたことが赤土汚染の公害ととなってあらわれたのです。

しかもその実態調査や原因究明などは、がんじがらめに縛られた公共事業のプロセスが阻んだのです。
この深刻な問題について、これまで行政や県議会、知事、行政オンブズマンなどに対し、実態調査をし、その解決策を求めて来ました。
県監査委員会に対して監査請求をもしたが反応はまったくありませんでした。
沖縄から米軍基地撤去の声は全国にとどろいています。
なく子にアメを!という我が国の歴史的教訓?はたくさんの公共事業として今日跳ね返ってきました。
恐らく、特異な自然環境へのダメージは一層速度を増すことでしょう。

 こうした状況の中で、畑の養分が流出するような設計図で施工した農地開発事業に支出した県費の返還を住民訴訟として法廷で求めることになりました。
このような公共事業が続けば、基地問題よりももっと深刻な事態を招き、それは基地の島50年どころか数100年にもわたる荒廃を将来の世代に残すことになると思います。
以上です。