意見陳述書

1997年10月25日 陳述者 真喜志好一氏

  本島北部 辺野喜海岸、農地改良区から流れ出た赤土が海を染める
 撮影 平良克之氏  


 原告のひとり真喜志好一です。

 建築設計の仕事をしています。1972年に沖縄に戻っていらい沖縄らしい空間を求めて島の村々やグスク、御嶽(うたき)などを見てまわっています。新石垣空港の予定地とされていた「白保の海とくらしを守る会」に参加し、沖縄のあるべき姿とは方向が違う開発を行っている沖縄県に対して注意を促す活動を友人たちとやってきました。
県の関係者の皆さんが、まともに取り合ってくれなかったので、沖縄県知事大田昌秀さんを被告にしたこの住民訴訟に至りました。
 
 9月24日吉嶺全二さんが宜名真で海に還りました。
私たちの原告の代表であり、沖縄の環境保全に多くの警告をなした方です。彼のライフワークであった海の定点観測、定点撮影をしている最中のことです。
36枚撮りフイルムは14枚まで撮影されていました。吉嶺さんは沖縄県に沖縄中の海中の定点観測を続けるように要請しました。
しかし公害衛生研究所の赤土対策班が部分的に取り組んでいるだけで、全県規模での定点観測は今日まで実現しておりません。個人で担うには余りにもハードな定点観測です。
沖縄県の自然環境への無理解が吉嶺さんにオーバーワークを強いたとしか思えず残念です。
 
 吉嶺さんの不慮の死は沖縄の新聞だけでなく全国紙や神戸新聞などの地方紙にも報じられました。
作家の灰谷健次郎さんは毎日新聞に連載中のエッセイ「いのちまんだら」で「人間の仕事」として吉嶺さんの人生から多くのことを学んだことを記しておられます。

 写真週刊誌フライデー10月31日号では「開発の罪」撮り続けたカメラマン「吉嶺全二」沖縄の海に死す、と追悼の記事と最後の写真を掲載しています。
このように吉嶺さんは多くの人に写真と彼の人生とで感銘を与えました。しかし沖縄県庁では彼の要請や主張は無視され続けています。
 
 この法廷に、被告沖縄県知事大田昌秀さんの指定代理人として沖縄県の職員が多数座っておられます。
ぜひ、吉嶺さんが命をかけた「定点観測を沖縄県の事業として取り組むよう」知事に進言してください。海、山の生命の循環がどのようの断ち切られているかを知っていただき、行政に反映させてください。

 昨年の暮れには私たち原告団の中から比嘉敏信さんを失いました。
彼も「白保の海とくらし守る会」の運動以来、沖縄の自然と人との共生を求めて考え活動した人でした。お二人ともこの訴訟の行方を見守っていると思います。
被告大田昌秀沖縄県知事さんや代理人におかれましても私たちの主張に同意す所は同意し、反論すべき所は科学的に速やかに行い、一日も早く沖縄の生態系の乱れを正しく直してください。いたずらに議論を引き延ばすことはやめていただきたいと思います。

 海水と真水に赤土を溶かしこんだペットボトルを二本もって参りました。二本とも振っておきます。
波浪がある状態ですね。静かにしておくとどうなるか、観察しましょう。これまでに弁護士さん始め原告の吉嶺さん、玉城さん、あざみさん、平良さんが意見陳述したように、沖縄の自然環境は山も海も本来の姿とは言えない状況に至っています。
小動物たちの生命の循環の場である沢の分断、棲息域の分断、埋め立てなどで水と生命の循環が妨げられ、陸域からの赤土が海に注ぎ続けています。
これらの状況の悪化は、1945年の沖縄戦、その後の開発、とりわけ1972年の日本復帰以後のわずか25年間に行われた目的と手法を誤った「公共事業」に原因があります。

 またサンゴ礁特有の浅い海は、必要以上に埋め立てられてきました。埋め立て地は企業の買い手がつかないぐらいにだぶついているにも関わらず、本島東海岸や宜野湾のサンゴ礁の埋め立て計画もあります。
 ここで沖縄の島々の来歴と暮らしを振り返ってみましょう。海水面の上昇や下降という全世界的な変化や、陸地の隆起・沈降という琉球列島の限られた地域内での変動は約6000年前に停止したとされています。
この6000年間、島の人々は自然の恵みに感謝し、祈りの場としてグスクや御嶽を隆起サンゴ礁の台地に築いてくらしてきました。 
 乾きやすく清潔な隆起サンゴ礁台地や砂地を集落とし、その隆起サンゴ礁台地や砂地で濾過されて湧き出る泉を汲み、広くはない島々を補う海草の畑とも魚の牧場ともいえる豊かなイノーで海草、貝、魚を採取する、そのような暮らしを石垣島白保では現在も続けています。
隆起サンゴ礁台地、泉、イノー、この三つの要素は、黒潮に抱かれた琉球弧(慶長の役以前の琉球王国)の島々に共通して存在します。
縄文、弥生という日本の文化は川の恵みによって支えられたのに対し、琉球弧の文化はサンゴによって支えられています。 

 沖合いの自然の防波堤としてのリーフ、島々の海と空をへだてるそれぞれに個性的な岬、城壁、台風から家を守る石垣など沖縄を特徴づける風景はサンゴが作ったと云えるし、サンゴで出来ています。赤瓦屋根を固める漆喰、黒砂糖を固める石灰、焼き物の釉薬もサンゴの骨格を焼いて得ています。
織物の藍染めも石灰が無くては発色しません。このように沖縄の風景、くらし場や工芸品などの「沖縄らしさ」に深くサンゴが関わっています。
中国、朝鮮、日本には、サンゴ礁はありません。いわゆる琉球列島だけにあるのです。海の生命が昔のように復活し、珊瑚礁が島中を縁どってくれれば、沖縄、奄美の人達のいのちが輝くばかりではありません。
お隣の国々の人々の心身も癒す場になるはずです。

 ところが、いまは雨が降るたびに陸地から赤い血のような赤土が流れ、海に注いでいます。
この赤土の微粒子はマイナスイオンを帯びており、海水中に遊離しているマグネシウム、カルシウム、ナトリウムなどのプラスイオンと結合し、粒子が大きくなって沈殿するのです。さきほどのペットボトルです。
沈殿が早いのは海水の方ですね。豆乳にニガリを入れて沈殿させ、豆腐をつくるのと同じような反応です。海底に沈殿した赤土は、台風などの波で巻き上げられてリーフの中に拡がり続けます。

それがサンゴをはじめ海の生態系を乱しています。
現在進行中の乱開発を改めなければ、陸が溶け、防波堤としてのサンゴ礁が崩れ、荒波が島々を洗う時が訪れます。宮古島でカラスが一羽もいなくなったとの報道はその予徴ではないでしょうか。 
 
 さて、本件訴訟について述べます。
大国林道は林業の為でなく、土木事業のために行われています。ヤンバルの山は沢ぞいに水と生き物達の命の循環があるのですが、その沢が林道でずたずたにされている、玉城長正さんは意見陳述なさいました。
林道を作る沖縄県の担当者は林業のため、と言っていますが林業らしい林業とは言えません。

 私の職業は建築家です。ですからヤンバルで切り出される材木をせめて建材とし使おうと努力して参りました。
けれどもヤンバルの木は乾燥すると捻りが生じやすいので、ほとんどの木が紙パルプの原料として安値のチップで出荷されているのです。
単価が高い家具材としての需要と供給は確かにありました。最近になって十分に乾燥させて床板や壁板を生産するようになりました。
小さくした多数の木材を強力な接着剤でつないで集成材を作るようにもなりました。カウンタ−などに使えるような幅の広い板が作れるます。

国頭村森林組合が生産しています。床板や集成材は大木でなくても良いので、樹齢30年ほどのイタジイや松の木で十分なのです。ノグチゲラが営巣する40年以上のイタジイは残せることになります。皆伐する必要はなく、真っ直ぐな木でなくてもよいのです。
林業者が植林した30年ものの幹や大きな枝は集成材に、小枝は木炭にという細やかな林業は不可能でしょうか。
 
 復帰前に作った砂利道の林道が国頭にあります。現在では若木や竹が茂っていたり注意深く見ないと分からないほど自然に同化しています。
先に意見陳述した玉城長正さんによればそのような林道の水たまりなどでヤンバルクイナを良く見かけたとのことです。いま作られているのはそのような自然にやさしい林道ではありません。土建業者のための土木事業です。
それを止めていただきたいのです。 

 土地改良事業も農業ではなく土地改良という名の土木事業です。
沖縄の亜熱帯の土地にあわない設計で畑を造成しています。そのために赤土だけでなく、肥料分までも一緒に海に流れ出し、畑は痩せ細り、作物は成長せず、農家は負担金にたえきれず耕作を放棄して別の仕事につきます。そのようなことが繰り返されているのです。
行政が行っている投資効果の計算に誤りがあるから、ではないでしょうか。 

 私の田舎は大宜味村大保です。
山の上にこのような土地改良が完成し、村に戻った青年たちも数年の内に見切りをつけ、再び別の仕事についています。農業統計では沖縄県の農地面積は増え続けています。
しかし、耕作面積は横ばい、収入は下降という結果を示しています。妙な農業政策ではありませんか。
 
 1988年に土地改良組合をたずねました。そこで聞いた沖縄の土地改良の技術指針は「北海道の農地造成の手法とパインや砂糖キビなど作物が似ているハワイの造成手法を参考にして沖縄の土地改良の手法を作った」ということでした。
土質が違い、気候が違い河川の長さが違う場所を参考にして沖縄の畑の勾配や、沈砂池などの配置やサイズが決められたのです。
河川が長い本土では、砂を川に流すと沈殿して川を堰き止めてしまい、氾濫をおこします。氾濫を未然に防ぐために畑や田圃の流末に沈砂地をつくり、砂を流さないようにするのです。細かい土、泥は川に沈殿せず河口まで流しても良いという考え方です。

ところが沖縄ではそのような役割の枕砂地は畑にとって役にたちませんし、海の生ものたちにとっては毒が流入するようなものです。
逆の考え方が必要なのです。砂は流しても良いが細かい土、泥は流してはいけないのです。現実には泥を流さなければ砂も流れませんが。そして昔からの畑はそのように作られていたのです。 

 18世紀の沖縄の政治家であり、技術者でもあった具志堅蔡温は、八重山農務帳などで畑や山の仕立て方を記しています。
要約すると、畑の水は直線で流すな、等高線に沿って穏やかに流せ、溜め池をつくりたまった土を畑にもどしなさい。
山は乱伐するな、というようなものです。これらの先人の知恵を生かし、今日の知識と併せてしっかりとした行政を行っていただきたいものです。 

金武湾を守る会、白保を守る会などの住民運動以来、行政と住民運動との関係は全く改善が見られません。
行政の担当者達は「住民運動は行政に敵対するもの」と思い込んでいるようです。
それはとんでもない誤解です。しっかりした安心できる行政をしていただければ、私たち住民は県や地方自治体に注文を付ける必要もないし、知事や市町村長を訴える煩わしさもないのです。 

 沖縄県知事そして行政と住民は、過去から学び、現状を正しく認識し「沖縄の現在と未来を良くする。」という共通の目標を持って生きています。
そのことをきちんと「知事と行政の側」がわきまえるべきだと思います。その目標をお互いに共有できれば、住民運動が知事や行政に付ける注文や苦言、住民訴訟が、実は環境行政の応援をし、ひいては沖縄の農業、林業、漁業などの安定した経営を応援していることが分かるはずです。

 いま、1997年10月29日、この時間にもヤンバルでは無用な林道建設と土地改良事業のため山が削られ続けています。
この不当、不法な行いを直ちに止めて欲しい。本件訴訟の問題点を明らかにし、解決を早めるために、裁判官、被告も被告代理人の皆さんも、大国林道北進線、辺野喜土地改良区などを原告らとともに視察し、現場の状況をしっかり確かめた上で議論を進めるよう提案いたします。
回復が早くなりますから、その日は一日でも早いほうが良いと思います。よろしくご検討ください。