平良克之と申します。

ヤンバル大宜味村で生まれ育ちました。
高校教師をしています。現在たびたび森に入り、自然の変化と生き物たちの観察をしています。私は幼い頃(1960年代)の記憶が思い浮かびます。私の家は農家でした。
サトウキビ、稲作、畑作業を家族で営んでいました。山林もあります。もちろん豊かな生活ではありませんでしたが、貧しさ、乏しさは感じませんでした。友達と山で遊び、木の実を取り、水量豊富な川で水遊びをしたものです。集落の前には白い砂浜があり、青い海には海の幸がたくさんありました。
なぜ貧しさの実感が無かったかというと豊かな自然の中での家族労働という絆、心の豊かさのようなものがあったと思うのです。
ヤンバルの危機的現状を目の当たりにしたときは大きな衝撃を受けました。私の周辺の人達も同様でした。地元はその実態を知っていなかたのです。ヤンバルの森は実に不思議な亜熱帯の森で地球の進化を知る上で貴重な生き物の住む森なのです。
沖縄の亜熱帯気候は世界の亜熱帯地域と比較できる地がないほど特異なのです。
点々と琉球列島が中国大陸に転がるように連なり、その真ん中あたりに亜熱帯のヤンバルの森があります。何百万年の間、中国大陸と浮沈をくりかえしたこの陸島は東洋のガラパゴスと称される程、種の多様性を育んできました。私たちの歴史と文化もその長い森と生き物たちの歴史の中の一コマにすぎないのです。長い年月の間にヤンバルの森はイタジイの森にいきつきました。極相林と呼ばれるものです。それは二次林であっても同じことです。ヤンバルの森は幾重にも重なった重層の森です。最下層の林床部にはコケ類、シダ類などの多種な下草が繁茂し、森林全体がドーム状の生態を形成し小動物や微生物と密着に連鎖しているのです。今、この森が皆伐による伐採、育成天然林と称する下草刈り、農地改良事業、大規模林道建設等により森の住人である生き物たちは人間により住かを追われ、こともあろうに絶滅の危機に瀕していることが世界に知れ渡ることになりました。

1994年、日本生態学会会長と沖大伊藤教授らは大田県知事に会見し、育成天然林事業による下草刈りの見直しを要請しています。下草を刈られた地に生物は生息できません。土壌を乾燥化させ、流出させます。1995年5月、県林務課は大国林道の交通量調査によると休日には300台余り、平日には100台余りの利用がありました。現在、どれほどの車が往来し輪禍が発生しているのでしょうか。1995年6月、県沖教組が大国林道全長の汚染調査をし、大量のゴミとU字溝に落下した小動物を救出しました。U字構の落下小動物は今も多く、刑事告発がなされています。
1995年、総合事務局が実施した「沖縄本島北部地域における生物環境調査」でマングースの北限がさらに進み、大宜味村塩谷湾から東村平良湾のラインで確認されたとしています。しかし、現在、国頭村の林道では多くの目撃情報があります。
1997年3月28日、県環境保全審議会はマングースの対策を県に求めています。
1997年、日本野鳥の会のやんばる支部調査によると、捨て犬、捨て猫がヤンバルを荒らすとし、糞の中に希少生物の羽や歯の検出結果があり、林道の弊害は周知の事実となり森を蝕みつつあります。
1997年はついに林道で車にふみつぶされたヤンバルクイナのヒナの事件まで新聞に報道されました。今、新設の更に北進する奥与那林道も同じ道を歩みつつあります。
1996年8月、工事中の現場を見ました。沈砂池が赤土であふれていました。
5メートルに拡幅する為に周辺の木を伐採し、赤土も流出しました。この地はヤンバル希少生物が多く生息する地でもあります。なんの調査もされず、その影響の予測さえなされませんでした。
今年の3月、辺野喜の農地改良区に行きました。耕作されず放置された農地、収穫されず放置された耕作地を目のあたりにし、驚きました。これは農家の責任なのでしょうか。今年(1997年)の5月の雨季に辺野喜川を真っ赤に染め、海に流れる赤土を見ました。今も赤土流出は続いているのです。
1996年10月、県環境保健部が県版レッドデータブックを作成しました。その結果、ヤンバルで多くの種が絶滅の危機に瀕していることが公表されました。1997年それをもとに沖縄生物学会のシンポジウムが開かれました。県公文書館の当山昌直さんは「野生生物を絶滅させる方法」を発表しました。一つは狩猟です。二つ目は開発、つまりノグチゲラなら40年以上のイタジイを伐採すれば絶滅する。三つ目は他の動物の移入ということです。このことは私たちが描いていた考えでしたシナリオで県にも要請してきたことでした。私たちの絶滅のシナリオは次の通りです。



皮肉なことに県が指定したヤンバルの固有の生き物が、県が絶滅の危機に瀕していると公表しているのです。どうして県の行政の皆さんがそんなに冷ややかなのか不思議です。
今や人間だけがこの地球上に生き伸びればよいという人間中心主義の時代ではないのです。太古から生き続けてきた希少生物は今、地球に生きる意味と共生を私たちに教えてくれます。「命ど宝」は大田知事を先頭にした県民の思想です。平和と環境は表裏一体なはずです。私たちの誇る琉球の歴史と文化はこの亜熱帯という世界に類を見ない自然の上に必然的に築かれてきました。豊かな自然がなければ私たちの伝統文化もなかったでしょう。
自然への敬意の念と自然との共生によって沖縄の心が形成されたのではないでしょうか。県土破れ、道路が残ろうとしている今、私たちは後世へ引き継ぐ歴史を生み出すことができるでしょうか。1997年6月23日、慰霊の日をむかえました。県教育庁の調査によると小中学生の4割が今の沖縄は平和ではないと答えています。その理由は、
1、 犯罪や事件がある
2、 いじめや自殺がある
3、 環境破壊がある
4、 基地がある
の順でした。県がいう若者が夢と希望の持てる21世紀は環境破壊という大きな課題をかかえているようです。どうすれば人間と自然が、生き物たちが共生できるか考える法廷であることを希望します。
リュウキュウヤマガメ
イシカワガエル
1、 イタジイの皆伐
2、 大規模林道工事による生物相の分断
3、 育成天然林道事業による下草刈り
4、 農地改良事業による改変と赤土流出

これまでヤンバルの現状を述べましたが、「自然か人間か」という二者択一の選択を言っているのではありません。地元の人と保護を人々の対立をあおっている一部の人がいるように思えます。私はヤンバルの森すべてに保護の網をかぶせと主張しているのではありません。現在の特別鳥獣保護区はあまりに狭く点在しているのです。せめて、生命が存続できるほどの面的つながりが必要です。それが可能なのは県有地だと思います。それは県民の共有の財産だからです。その配慮さえ示せないなら、世界から批判の目が向けられるでしょう。いまや、国際的な問題になっているのです。自分の土地で林業を営もうとしている人々には補助金を出すべきです。本来の自立した林業の育成をすべきです。公共事業によって破壊が進むことはすべての矛盾が生じています。

1995年8月、西目岳近くの伐採地で泣き叫ぶイタジイの木に遭遇しました。手足をそがれ苦しむ姿に私は胸が痛みました。亜熱帯の守護神イタジイの哀れな姿でした。イシカワガエルの悲しげな目を見てください。県が指定した天然記念物です。私は世界一美しいカエルだと思います。今や渓流をかける高らかな笑い声は涙声にしか私には聞こえません。ただのカエルだと思いますか。イボイモリの泣いているを目を見てください。これも県が指定した天然記念物です。生きた化石といわれ、するどい彼の眼光は今やうつろで哀願しているかのようです。ただのイモリだと思うのでしょうか。リュウキュウヤマガメの目を見てください。怒りの目です。これは国が指定した天然記念物です。ただのカメと思いますか。ノグチゲラの目は人の行為を上空から見続けてきました。人の愚かしさを見続けてきました。彼はイタジイの木から必死に訴えてきました。ただの鳥として見ますか。国が指定した天然時念物です。ヤンバルクイナの目は悲しさと怒りと生きる術を訴えています。飛べない鳥は今滅びようとしています。
ノグチゲラ
イボイモリ 
1997年10月25日 陳述